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ちどりや物語

「うまい麺を食べてもらいたい」一人の男の熱い想いが原点です。

創業者・佐々木悟朗は明治43年4月3日宮城県古川市生まれ。少年の頃はきかん気の強いガキ大将で、17歳で東京へ家出、さまざまな職業経験、満州での兵役を経て、満州国警察官として奉職していた昭和9年、きよめ夫人と結婚しました。満州との行き来を繰り返し、九死に一生を得る過酷な体験をしながらも終戦を迎え、昭和22年、小野田町に引き揚げていた37歳の時に「自分の力を試したい」と一家で仙台へ。翌23年、きよめ夫人は親戚の資金援助を受け、一番町連鎖街で「千鳥屋」という焼き鳥屋を始めました。この屋号が、後に「千鳥屋製麺所」の社名となったのです。

「友人の店が空くんだが、うどんやをやってみないか」はじまりは仲間の一言でした。佐々木悟朗は借金で店を持つ決心をし昭和24年7月24日、居抜きで譲り受けた店舗(仙台市一番町/現・仙台三越前)で「千鳥屋製麺所」を創業。
店はわずか2坪、佐々木悟朗本人、きよめ夫人、前の店から働いていた斎藤氏の3名での開業。うどんやといっても食糧品は全て統制・配給の時代。粉食切符を持った人々に「うまい!」と笑顔で食べてもらうのが何よりのやりがいであり喜びでありました。その年の暮れには、きよめ夫人も焼き鳥屋をやめ、うどんづくりに専念するようになりました。

昭和27年頃の国分町本社
開業して間もない千鳥屋製麺所。玄関脇の『玉うどん配給所』の立て看板が印象的、当時の様子を伝える貴重な一枚です。

一番町時代の各種の認可を示す看板
創業者佐々木悟朗は昭和24年に宮城県めん類協同組合を設立しました。当時、個人では何するにしても限界がありました。

初期の千鳥屋製麺所の主力商品は玉うどん。佐々木悟朗はそのうどんの太さにこだわり、社員の反対を押して切り刃を調整。通常よりやや細めのうどんを発売するなど常に独自性ある商品の開発を続けました。また中華ソバをおく食堂が徐々に増えるのを見て「これからは中華が伸びる」と直感、千鳥屋独自の中華麺づくりをスタート。「スープ乗りのよい他と違う中華麺を作れないか」と試行錯誤の末、切り刃に工夫を凝らし麺に「ちぢれ」を出すことを考え出したのです。当時は誰の目にも新鮮であり、仙台駅周辺の食堂街を総ナメにするほどの大ヒット商品となりました。

社用車第1号のダットサンと佐々木悟朗
車といえばオート三輪、四輪の自動車は非常に少なかった昭和27年当時。配送する車が思わぬPR効果につながりました。

千鳥屋ちりめん中華の誕生
お客様嗜好を考えスープ乗りの良い中華めんに着目し、画期的なちぢれを考えだしました。これは誰の口にも新鮮でした。

中華麺の伸びは異常に早く、昭和27年に完成した国分町工場だけでは生産が追いつかなくなり北山に新工場を完成。
昭和33年、新工場操業後まもなく佐々木悟朗の発案による「スメ中華」が発売されました。それは今では当たり前になったスープ、メンマ付きのセット麺。これが大当たり、「家庭で手軽に本格的な味を楽しめる」とたくさんの人々に受け入れられたのです。その後は作っても作っても間に合わないほど、まさに“てんてこまい”の忙しさ。このスメ中華の成功が、千鳥屋を小さな製麺所から、「宮城県に千鳥屋あり」と注目される存在へと高めることになりました。

昭和30年頃の自転車での配達
町も店も活気に満ちてきて麺を待つ先々への配達にやりがいを感じていました。みんな何箱積めるか競っていたものです。

昭和33年頃の国分町本社の社員たち
昭和24年に3名でスタートした千鳥屋、昭和31年には塩釜支店も開設され、国分町本社だけでも30名ほどになりました。

その後もさまざまな成功と失敗を乗りこえながら昭和42年、現在の本社位置に新工場が完成。完全自動化の生産ラインが並ぶ、当時では東北トップクラスの生産設備を完備しました。昭和50年代半ばには小ロット・多品種に着目し、あわせて流通経路を見直し低温流通システムを全国に先駆けて導入。さらに昭和58年には、当時専務を務めていた現会長・佐々木正直が業界初の企業イメージ刷新のためのCI(コーポレイテッド・アイデンティティ)を導入。それまでの漢字表記から、親しみやすい「おいしさ生きてる・ちどりや」に変更し全ての商標・商品デザインを一新したのです。

昭和42年に完成した福室工場
完全自動化の生産ラインが並び、当時の東北トップクラスの生産設備を誇る新工場。北山工場は廃止され新工場に統合。

昭和40年代から55年までの配送車
うまい麺を数知れず届けた「美味しさ運ぶ千鳥のマーク」。これ以降は冷蔵車両がとって変わる時代がやってきました。

昭和63年、創業者・佐々木悟朗が会長となり、佐々木正直が社長就任。世代交代し40周年を迎えた平成元年には、新たな展開を図るべく「チャレンジ50計画」を策定、臨機応変で柔軟な組織力を持つ食品メーカーとして企業体質の強化に取り組みました。平成10年の創業50周年には売上50億円を達成。平成12年には工場・事務所を増築全面改装。
近年では、佐々木龍一社長を中心にHACCPを導入、衛生面を強化。仙台市自主衛生管理評価事業の認可第1号、全国製麺共同組合会の高度化計画認定通知書を受けました。今後も品質第一主義を貫きつつ、さらなる成長をめざします。

ちどりや年表

昭和24年佐々木悟朗、仙台市一番町(現三越前)でうどん、そばの委託加工工業を開始。
昭和26年有限会社千鳥屋製麺所に改組。仙台市国分町に工場用地を取得。中華麺の製造を開始。
昭和28年株式会社に改組。
昭和30年三越や地元デパートの大型食堂に納品開始。
昭和33年中華製造部門を仙台市北山工場に移転。
昭和35年北山工場の新社屋完成に伴い製造部門を全面移転。
昭和42年仙台市福室(現本社・工場)に新工場完成。
昭和56年オフコン導入。
昭和57年EOSシステム導入。
昭和58年CIを導入(シンボルマーク、ロゴタイプの制定)。 商標を刷新。本社工場の全面建替工事。
昭和63年佐々木正直代表取締役社長に就任。
平成2年飲食店を中心とした研修組織「ちどりや麺研究会」発足。
平成11年創業50周年を迎える。
平成12年工場一部並びに事務所増築全面改装。
平成18年仙台市自主衛生管理評価事業の認可第1号に。全国製麺共同組合会の高度化計画認定通知書(認定番号2)を取得。
平成23年佐々木龍一代表取締役社長に就任。
平成26年宮城シマダヤ株式会社へ株式を譲渡。
伊藤徳義が代表取締役社長に就任。
シマダヤ株式会社のグループ企業としてスタート。